ある小さな家族葬での話。
2021/12/10
10年ほど前の年の瀬。寒い夜中に電話がありました。
ご主人が亡くなったそうで、大阪市内の大きな病院までお迎えに行きました。
富田林までの帰り道、寝台車の隣りに座った奥さんはよく喋りました。
これまでの病気との戦いのこと、子どもたちとの過ごし方のこと、とうに覚悟は決めていたけどイザとなると心の整理がつかないこと、など。
その年の、おそらく最後になるであろうお葬式の仕事を、私はいつも以上にしっかり担当しようと思って12月31日のお別れの儀式にのぞみました。
頼りにしている素晴らしいお坊さんに依頼して、遺族5人だけの小さな家族葬は無事に終わりました。
年が明けて、なんどかお家に伺って色んな話を伺いました。
もう主人がいなくなったので、車がないと不便な家を引き払おうと思っていること。
そうなると家の片付けを考えないといけないので気が滅入ること。
そして、京都にいる子供の家に同居しようと思っていること。など。
49日になり満中陰の法要がおわったころ、奥さんからまた連絡がありました。
「主人の遺品を形見分けするので、大西さんにも受けとって欲しい」とのことでした。
恐縮しながら自宅に伺うと、亡くなったご主人のギターをゆずり受けたのです。
とても美しい、クラシックギターでした。
それから一年ほど経った頃、奥さんから便りが来ました。
移り住んだ京都で、とても苦労をしていること、
それと寂しい気持ちもあるが、前向きに生きていこうと思う日々であること、などが綴られていました。
この時期になると思い出します。
あの冬、とても小さな家族葬で出逢った奥さんとご家族の皆さん。
ほんの一瞬だけ共有して別れ、また日常にもどる人生の時間。
あのギターは、
私の部屋のいつもの場所で
今日も弾いてもらうのを待っています。
家族葬の天翔 大西敬行